『高校生のための批評入門』から『「友達いない」は"恥ずかしい"のか』
昨日、本屋で『高校生のための批評入門』という本を見つけ面白そうなので、軽くページをめくった。
- 作者: 梅田卓夫,服部左右一,松川由博,清水良典
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/03/01
- メディア: 文庫
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いくつかの批評文や小説などを短く載せあり、読者にその文章を読ませあなたの見方で考えてごらんという趣旨。考え方のヒントめいたことも載せてある。
なるほど少し読んでみたくなったし、自分の考えを発見する手がかりになる本だと思った。
それで考えさせられたのは自分の高校時代から現在までの「私」について。
俺は友人関係もろくに作らず(いわゆる友達は毎年1人ずつくらいはいたが)、映画ばかり毎日毎日観ていた。高校3年時は365本以上観た。受験勉強もろくにしなかったお陰で。
それで、自分は高校生のとき批評なんて考えたことあったかなと。批評という言葉自体は聞いたことがあったかもしれないが考えもしなかっただろう。
映画雑誌で映画批評なんかは読んだりしていたが、自分で批評精神を持っていたかというと無かった。高校3年間映画を観るとタイトル、監督名、俳優名をノートし、☆評価をつけていたくらいで、評論文はもちろん感想すら書かなかった、いや書けなかった。
映画の良し悪しすら考えたことあっただろうか。面白かった、つまらなかったの判断のみだったろう。
しかしいま思い返せば、批評めいた考えは頭の中ではあったんだと思う。そのころ観た映画を思い返せば感想は思い出せるし、感じたことも覚えている。
ただそれを言葉にできなかった、言葉を知らなかったのだ。
元来作文が非常に苦手だった。何を書いていいかわからなかった。
そして高校まで言葉のない自分を作ったのは友達とのコミュニケーションを疎遠にし、自分の殻に篭り、自分の居場所を映画の中に潜めたから。人と話したり議論するのが怖くなっていった。自分を否定されるのが嫌だったから、なにより自分に自信も持っていなかった。自信を持つような行動も起こしていなかったし。
それが大学生になり、世界は変わった。女性と付き合うようになったからだ。自ずとコミュニケーションは恋愛を通してだが増えていった。会話する楽しさを知り、相手の話を聞き自分の意見も話せた。
だけど、結局のところ上っ面な会話しかできていなかった。
よく語彙力がないねと付き合っていた女性に言われたことがある。
それは当たっているが、一番問題だったのは相手を思いやる心が欠如していたこと。相手と真剣に向かい合い、自分を曝け出すことができなかった。それが簡素な言葉となり相手への配慮のなさに繋がる。
はい、人間失格。といいたいが、現実社会そんな簡単には人間失格になれない。
妻もいれば子供も二人いる。社会人としての付き合いも多いし、次代の経営者として社員とも付き合っていく。こんな人間でもだ。
今現在も友人は皆無に等しい。大学時代の盟友が東京にたった一人いるが、身近にはいなくなった。そう、昔はいたが皆俺に愛想をつかし、無言で去っていく。相手を思いやる心はいまもないのだ。
『「友達いない」は"恥ずかしい"のか』という本がある。
- 作者: 武長脩行
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2012/03/15
- メディア: 新書
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俺は友達いなくても恥ずかしくない! とかっこよく言いたいが、残念ながら少し恥ずかしい。
少なくとも親には嬉しそうに「俺友達いない!」とは言えない、そんな意味で恥ずかしい。
自分自身は恥とは思わない。自分の行いを振り返れば当然のことだと思っている。
で、この本の内容は、サブタイトルにある「自己を取りもどす孤独力」という孤独がポジティブな話。
自分の中には「もう一人の自分」がいて、自己内対話をすることで自己愛の重要性を知る。また、自分を冷静に分析し、他者との差異を意識化することでコミュニケーションの基礎を作ると。
なるほど、これは自然に俺が実践してきたことだった。
〜ひとりになって自己反省や自己内対話をしながら、相手のことを考え、自分との違いを顧みていく。さらに集団のなかでのコミュニケーションになってくると、全員の理解や納得をすぐに得られないことを前提に、みんなの意見をうまくひきだしていくことが大切になります〜
とある。俺は孤独に強く、周りの洞察力に昔から優れていた。しかしそこで終わってしまっているのが現状。
その先には、相手と自分は違うんだという前提で、勇気を持ち一歩前に進む、この実践の積み重ねの他ないのだろう。